花形装飾活字を愛でる その61

紹介しておりますエンスヘデ活字シリーズ60の花形装飾活字のアウトライン化したデータ差し上げます。
詳しくは
http://www.fengfeeldesign.org/をご覧ください。
お待ちしております。

現在における印刷価値の低下はめまぐるしいものがある。
名刺で言えば某所にて無料で印刷出来るのが有名ですが、
平均で1000円くらい出してしまえば、
自分の情報が入ったオーダーメイドな印刷物が出来るのである。
おかげで、
誰もが印刷物に対して手軽に触れる事が出来るようになった一方で、
街頭ではチラシが配られ捨てられている。
事態は深刻なのだ。
このまま印刷物はゴミのような扱いをされ続けてしまうのでしょうか。
部屋を見渡せば印刷物が目に入らない事はない。
街に出ても印刷物に出会わない日があればめずらしいくらいだ。
ここまで印刷の技術が普及しているのに、
このようなお粗末な状況が続いていいものでしょうか。
個人的な活動として、
「千代紙な名刺」というのがある。
これはまさに今の印刷物ゴミ扱いに対する抵抗なのです。
横暴にもこの名刺は100枚で1万円を越える価格になっている。
市場の平均価格の10倍程の値を設定している。
が、
これについては、
デザイン料、図案のコスト等は一切関わらせていない。
あくまで印刷で発生するコストのみを計算した価格にしているからで、
デザイン主体ではなく印刷そのものの価値を元に戻す為の、
新しい提案、
印刷主体の印刷物、
当然と言えば当然なのだが、
先ほども書いたが、
それが出来ていない現在へのささやかな抵抗なのだ。
「千代紙な名刺」は、
プロセスカラーによる疑似フルカラーではなく、
印刷技術者が1色ずつ色を混ぜて、
1色毎の版(網点ではない)を作り、
これまた1色ずつ刷るという、
なんともシルクスクリーンのような、
リトグラフの延長線上のような、
なんとも昔なやり方で印刷をしている。
というか、
関わって貰っている印刷所が、
「それしか出来ない」事情があるからで、
現在の最新設備を導入してしまった印刷所に依頼すると、
おそらく4倍くらいの値が付いてしまうところを、
この価格でやってくれるのだから有り難い話である。
勘違いしてはいけないが、
グラフィックデザイナーが関わっていない印刷所なんてザラなのだ。
本来、
印刷所にはグラフィックデザイナーは不要である、
というのが自説なのだが、
どうもやはりグラフィックデザインと印刷は密接関係にあり、
デザインされたものが印刷されるという、
固定概念は簡単には拭えそうにないのもまた事実であると思います。
重要なのは、
印刷が主体でありグラフィックデザインは、
それを計画する役割であるという事。
グラフィックデザイナーは、
印刷の在り方を熟知し、
印刷する側が印刷に集中出来るように、
出来る限りの配慮をしなければならない。
だって色を作るのは印刷所の人やし、
実際に色乗せるんも印刷所の人だもの。
その事を忘れないとして、
グラフィックデザイナーが出来る作業はなんなのでしょう。
もし、
今、印刷よりもグラフィックデザイナーの方が偉い事になっているのなら、
それはやはり改めるべきです。
もし、
グラフィックデザイナーにとってコミュニケーションが重要なのであれば、やはりそれも改めるべきだと思います。
デザインは人と関わる事で成立する作業ですが、
人に媚びるべきではないと思います。
現在は、
クライアント→グラフィックデザイナー(営業は抜きで、そんなの書いてたらキリがない)→印刷所でしょうか。
何故こんなに印刷の価値が下がったのか、
その原因はまさしくここにあります。
コストの削減、コンピュータによる制御が直接的な原因ですが、
原因そのものの始点はここなのです。
比較的新しいオフセット印刷は置いといて、
そもそも活版印刷主流であったが故に、
印刷所は版の購入に余念がありませんでした。
その中には装飾版もあったでしょう。
賞状に代表されるような、
職人技的なものもあったはずです。
そのそもそもな当時は、
こうであったはずです。
クライアント→印刷所←活字鋳造所(グラフィックデザイナー?)。
いろんなパターンがあったにせよ、
その全ては印刷所に集中していた時代がありました。
何が違うのでしょうか、
大きく変わった1つの要因があるように思います。
それはやはりグラフィックデザイナーの登場でしょう。
その始めの代表格は日本では竹久夢二が有名です。
彼の残した仕事は数知れず。
そうなのです。
多分この頃から印刷所ではなく、
竹久夢二が残した事になっています。
活字版が主流の時代は、
鋳造所として資料が残されています。
個人がクローズアップされるのは大抵は、
作家性が高まった事にあり、
印刷に対する芸術性の高まりを意味しています。
ある意識の高いグラフィックデザイナーが計画した事に、
印刷所が協力する構図が、
グラフィックデザインの登場により敷かれた訳です
その中で注目はグラフィックデザイナーに注がれます。
そこで、
特定のグラフィックデザイナーに頼みたいという願望がクライアントに芽生えます。
それまでは印刷所に予め準備されていた装飾を、
どのように決めていたかは想像するしかないのですが、
今の古い印刷所の仕事ぶりを参考にすると、
クライアントの指示通りの文面で印刷所の方の配慮の文字組の元で、
用意された装飾を選んでみたり、
形式に乗っ取る(賞状等)形で取り決めていたのでしょう。
これは大きな変動です。
グラフィックデザイナーというフィルターが入る事で、
印刷所は影を潜め始めます。
で、今の状況です。
その過程がどうであれ、
グラフィックデザインという表面的な価値だけが掬い取られ、
最近ではグラフなんていう印刷所が頑張っていますが、
そのグラフィックデザインの能力は正直なところ、
印刷よりになりすぎていて高いとはいえません。
むしろそれを楽しんでいるという意味では評価は出来ますが、
可能性として不十分であると感じます。
あくまで印刷所がグラフィックデザインの事を意識した台頭であり、
その質を最大限にまで高めた結果なだけで、
結局はグラフィックデザインが主体になっている事に違いはないのでしょう(個人的には好きです)。
そうそう、
グラフィックデザインという表面的な価値だけが掬い取られ、
デザインが神のような扱いを受けてますが、
もういいじゃん、
なんだかねそういう考え方は時代遅れで古いんです。
だからといって懐古主義なノスタルジーになる事を強要するもんじゃありません。
ここでやっと花形装飾活字。
これは印刷に対してどういう事だったのでしょう。
以前にも、
とくに今回のものについては、
凄くグラフィックデザイン的であるというのは書きました。
ここからは個人的な見解(ずっとそうか)です。
グラフィックデザイナーはあまりにも自由に振る舞いすぎたのかもしれません。
そして、これを書いた時点で、
いえいえ、いろんな制限で動いているよ、
という意見が多数出そうですが、
いえいえ、それは大きな勘違いだと思います。
都合を合わせる事と配慮をする事は違うのです。
クライアントはいろんな都合を背負い、
大きな気負いで一般的には代理店に依頼し、
代理店は結果が出るものを要望し、
いろんな負の板挟みにグラフィックデザイナーは置かれて、
その掃きだめを印刷所(印刷物の場合)に押し込めているのです。
あえてアカンように書きましたが、
もちろん良いようにも書けます。
が、
それは「仕事」もしくは「職業意識」をメインに置いた場合でしょう。
その場合には全てが正当化され正しい事になってしまうのです。
あ、あ、
あくまで否定じゃないよ。
状況を見ての判断です。
どんな風に議論して勝ったとしても、
印刷物がつまんない事になっていて、
ゴミみたいに扱われている事には違いないからね。
その部分です。
以前にこうも書きました。
この花形装飾活字が多く配布される事で、
その価値が下がる事を恐れている、
それを防ぐために条件を設置させていただいていると。
これは間違えないでくださいね。
この花形装飾活字を神のように崇めての事ではなく、
愛してはいるけれど、
例えば、
凄い装飾された高価なギターを飾っているだけで、
傷つけただけでアカンような文化にだけはしたくないという意味です。
まじで今回のこの花形装飾活字は素晴らしいものです。
だからこそ使って欲しいんです。
使ってその価値を実感出来るチャンスを多くの方が掴む事を願っています。
と、それは置いといて、
花形装飾活字はグラフィックデザイナーにとって、
印刷の事を考える良いきっかけになるでしょう。
今、
全てではないのにしろ、
多くのグラフィックデザイナーと呼ばれている人達が、
どれだけ職能だけを惹け散らかし、
全然その役割を果たしていない、
勘違いしたグラフィックデザイナーさんであるかがわかると思います。
その認識を正すではないですね、
ええと、
見直す時期に来ている事は確かであると言えます。
気付かない人は気付かないでしょうが、
もしも、
気付く人が増えた時には、
印刷の価値が高まるのではないのでしょうか。
それは凄く期待しています。
うーん、やっぱり書けば書くほど伝わらない気がしてきたぞ。
やっぱりダメですね、まとまらないや。
これは文章にしてはダメです。
やっとここまで文章出来るに至ったとい言うのが近いですが、
説明出来るまでには至ってないという事でしょう。
説明出来ない事はこれからの活動で証明していければと思いますが、
というのは前から書いてますが、
ダメだったなんて大恥だけはかかないようにしなくては。

ココロから置いておきたいと思う、
紙に刷られた印刷物。
それを実現した「千代紙な名刺」(印刷見本無料ですのでお気軽に)。
もっと根本的に追求し始める為の一手である、
今回の「花形装飾活字」の配布。
そして次からやろうとしているたくさんの事。
やればやるほど、
増えれば増えるほど、
印刷の価値が高まっていきます。
そしてグラフィックデザインの可能性。

今近くにある印刷物を手にとって確かめて欲しい。

うん、まとまらない。
書くんじゃなかったけど、まあいいや。