花形装飾活字を愛でる その77

紹介しておりますエンスヘデ活字シリーズ60の花形装飾活字のアウトライン化したデータ差し上げます。
詳しくは
http://www.fengfeeldesign.org/をご覧ください。
お待ちしております。

単に花形装飾なら活字である必要がない訳で。
ある一定量の同一の物質を作成する前提で計画されたもの。
情報、インク、紙、目的、要素……そして印刷という概念。
技術としての活字という仕組み。
そう活字だった。
写本なんて手間のかかる作業なんてやってらんないし、
美しさと伝達性で圧倒的な正確性を得た。
で、現在の単純化された印刷システム。
もうこれは繰り返しですね。
ここ1ヶ月は同じ事しか書いてない気がする。
伝えたい事の全てはここに凝縮していてシーンな訳です。
花形装飾活字という出来事はいったいなんだったのか。
一言で言うと創意工夫の賜物なのでしょう。
細かいのは抜きで、
花形装飾活字の時点で活字による印刷は極まったのだと思います。
既に新しい技術と平行にあったであろう状況の中で、
ある程度「新しい技術」よりも確定的な技術として、
多くの印刷を実現していた事でしょう。
現在の日本でさえ、
小さい印刷屋さんは主流の印刷術として、
木版を活用した活版を利用しています。
「印刷」はたまた「いんさつ」とでも書きましょうか。
そして、
これらにはグラフィックデザイナーは関与していないという事です。
グラフィックデザイナーが関与しなくとも印刷は可能なのです。
印刷にとっての大きな失敗はグラフィックデザイナーの登場であったと考えています。
グラフィックデザインの台頭で印刷は衰退しました。
グラフックデザインと印刷。
あたかもグラフィックデザインが印刷のようなイメージです。
出来上がったものを刷るというのは、
なんて贅沢な事なのでしょう。
だって、
出来上がってもいないのに、
出来上がっているというイメージ。
完成という着地点が印刷じゃないところにあって、
前回の話でも、
次の天王寺という構想があっての街という考え方。
たまたま其処にあった天王寺という在り方。
これは趣向の問題なのかもしんないが、
それをデザインするという事。
シーンであるという事。
次こそやっと花形装飾活字が出てきます。