花形装飾活字を愛でる その182

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でも、これを見ると当時から既に遊んでいたし、今より全然作れているんだよなあ。技術だって活版だぜ!?こんなにここまで高められないでしょ、やれるもんならやってみろよって感じ。どんなにテクノロジーが進んだって、人間の知識や考え方が増えたって、結局はそこにいる人間の度量と能力なんだよなと思い知らされてしまいます。何が作風だよ、何が商業だよ。当時の方が全然グラフィックデザインやってんじゃねーか。なんだよ今の体たらくと能力の無さ…ありえねーわ。これ絶対にありえねーと思う。とまあ、愚痴的なものは置いてといて、版が小さいという事は、ある程度の形の構築が可能なんですね。それはもちろん活版という制約の中でというものですが、当時くらいでしたら、ミュシャあたりがリトグラフでポスター作りまくってブイブイ言わせた時と被る感じなんですけど、もちろん、描くという点で言えば、そっちに転がればいいんだろうけど、これは活版なんだよね。リトグラフ時代のポスター群を見ていると、文字に関しては終わってるレベルだし、装飾に関しては荘厳でハデなのはわかるけど、リトグラフという限界が見え隠れしたりする。そういう意味でも、ボク個人としては、リトグラフを印刷技術としては見ないようにしています。または、それをグラフィックデザインとしては見れないような気がしていて、どちかというと、画家業の新しい流れで、後のイラストレーターへと流れる1つだと思うんだよね。グラフィックデザイン的ではあるけど、実はそうじゃない。その正当はむしろ花形装飾活字であって、だからこそこんなに取り上げてるんだけど、この小さい版の組み立てたり整理したり形をこさえたりする作業というのは、それはまさにグラフィックデザインだと思います。計画をしたものが刷られていく様は、それがモニターでも通じる訳で、そこらへんの棲み分けは当時に出来ていたんだろうなと思います。逆に最近のコンピュータでの作業はググッと自由度が増えました。今までバラバラだった活版的な要素と、リトグラフ的な要素が一緒になって、よりグラフィックデザイン的になったというか、それが出来るようになったのだと思います。なんというかグラフィックデザイン化が進んだせいで、今までのリトグラフ的に画家業だったものが、素材という言葉にすり替えられて書体も同じように手軽使えるようになったんだよね。それが良かった事か悪かった事かはわからないけれど、明らかにそれを認識出来る機会が減った。そのせいで、せっかく一緒になったのに、バラバラになろうとする動きさえあるよね。今日伝えたかったのは、何がグラフィックデザインかという事。そのヒントをこれは持ちえていると思う。ボク達がグラフィックデザインと読んでるものがどこからきてどういうものなのか、いろんなものが混ざっている今だからこそ、ワザワザに分解せんでも認識くらいはしておきたいものだよね。それを知らんと大きい顔するのは、なんか違うと思う。そのスピードの中で仕事したいとも思ってます。