花形装飾活字を愛でる その91

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紹介しておりますエンスヘデ活字シリーズ60の花形装飾活字のアウトライン化したデータ差し上げます。
詳しくは
http://www.fengfeeldesign.org/をご覧ください。
お待ちしております。

当時の曲線に対する執着はスゲーと思います。
バランスに対すると言った方がいいような気もします。
そのオブジェクトに対する、
なんとも異様なまでの追求は、
現代には抜けてしまった、
感性やら雰囲気には変えがたい、
確固たる美意識がそこにはあります。
という事で、
拡大した画像を踏まえて解説していきます。
アウトラインにする際に一定の修正は加えていますが、
出来る限りの再現を心掛けました。
そこらへんのうんぬんは前回までに書いてきたとおりです。
これは今回のものに限らず、
当時の花形装飾活字、
もしくは印刷技術において、
バランスが重視されていた事が覗えます。
タイポグラフィの父、
エミール・ルーダーもこう発言しています。
タイポグラフィは時にシンメトリーである。」
そしてこうも発言しています。
「ただし、タイポグラフィにおいてはその限りではない。」
なんのこっちゃっちゅう話ですが、
これって日本語やからわかりにくいのかもしんないですね。
文字のバランスによってはその中心を探るのは困難です。
ましてや紙の中心やバランスを、
その情報に合わせて探って鎮座させるなんて、
コンピュータじゃ絶対無理ですし、
ましてや人の手で行おうものなら目がギンギンになる事請負です。
昔からそれに関する技術や技法については編み出されてきたの事でしょう。
マックの開発者がタイポグラフィに関係していたのは幸いだったと、
良く本に書かれていますが、
本当そうだと思います。
文字間や段落等の概念をコンピュータで行う事を考えたとしても、
実際に技術者がいない事にはその発想は無かったのでしょう。
本当に幸運だったと思います。
いかに感覚でバランス養いそれを実行したとしても、
一旦、コンピュータに犯された感覚はそう簡単には取り戻せないでしょう。
それを思うと、
当時の技術者の技術にも勝るその感覚には圧倒されるばかりです。
花形装飾活字は、
装飾をするベールの奥に整理をするといった目的があります。
完全なシンメトリーが可能であれば、
このような装飾は必要では無かったのだと推測します。
もっとそういう事を気にしない装飾になっていたと思います。
もっとも実際そういう方向の花形装飾活字もありますが、
それは今回は置いといて、
地味に時間が来てしまったので次回へ続く。