花形装飾活字を愛でる その105

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エンスヘデ活字シリーズ60の花形装飾活字のアウトライン化したデータ差し上げます。
詳しくは
http://www.fengfeeldesign.org/をご覧ください。
お待ちしております。

花形装飾活字というものの機能においては、
そのスタンスを示す事が重要だと思います。
独特な美しさよりも、
不変なより多くの方が理解出来る美しさの追及こそが、
よりよい花形装飾活字を産むのだと考えています。
時には独特な美しさが正解を産みますが、
それが花形装飾活字かどうかについては、
いささか疑問に感じます。
そして同時に複数の使い手が設計の意図をキチンと理解し、
各々が独自性を持ってそれらを組み立てていくことが、
花形装飾活字の面白いところでもあります。
同じ図案の集合でも、
組み立てる人が違えば独特な美しさが誕生するのは、
それこそが最大の魅力であり、
花形装飾活字を設計する上で何よりも考えなくてはならない、
重要なポイントでもあります。
これはイメジスト(http://www.miwakazuki.jp/imagest/)での、
花形装飾活字を設計する際に意識した1つです。
いかにその自由度を完成域として捉えるかについては、
前回までにも書いてきましたが、
作っている時に凄い事に気付いたんですが、
その場合に図案の形としての密度と、
実質的な形の在り方で、
花形装飾活字の良し悪しのバランスが決まってしまうという事です。
これはスタンスを示すという意味では、
大きなウェイトを占めていると感じました。
つまり、
図案の密度と形というのは、
例えば、
花の形を1つとっても、
それがなんの花か分かるまでの図案なのか、
それともなんの花かは定かではないが花だと分かる図案の2つがあった場合に、
前者と後者の設計では、
花形装飾活字の在り方に大きな違いが現れるという事です。
これは花形装飾活字が消え行く歴史的な一面を感じずにはいられないのですが、
衰退期の花形装飾活字においては、
前者の場合が多いという事です。
具体的なイメージ出来る装飾に仕上げられています。
これは写真の登場や印刷技術の向上の結果、
それまでは、
簡単な挿絵や複雑な文章をフォローする為だったものが、
それらを色どるものへの変化を遂げたという事になるのではないでしょうか。
逆に全盛期の頃には後者の場合が多いんです。
ただこれは何を衰退期とするか全盛期とするかなので、
衰退期は1800年代後期から1900年代にかけての事で、
全盛期は1700年代中期から1800年代前半に掛けてという区分なんですが、
これはアカラサマにそうなっているので興味がありましたら、
是非調べてみてください面白いです。
さっきも書きましたが、
それがどう良し悪しなのかは、
ボクの勝手な判断なので反論は覚悟しつつ、
判断としては、
既に花形装飾活字として完成域に達していた手法を、
捻じ曲げてまでより具体的な図案という在り方に時代に合わせて変えてしまった、
もしくはそういうやり方でしか対応出来なかった事が歴史上の失敗であり、
そして現在日本独自の花形装飾活字というのは、
その技術革新の並に押された本来のものとは程遠いものが、
活版を普及しようと輸入したタイミングだったという事だと思います。
何を完成域とするか。
もし完成とするなら1700年代中期から1800年代前半に掛けてのもので、
花形装飾活字として謳歌していた時代でもあったわけです、
逆に1800年代後期から1900年代のものってどちらかというと、
発展途上のまま終わったという印象。
それを現在に残っている日本の花形装飾活字としての在り方で、
独特な完成域に達したという事だと思います。
ただ、それが花形装飾活字として判断していいものかは、
いささか疑問に感じるところであり、
機能の面でも役目が果たされていないような、
良く言えば日本的な感じであり、
悪く言えば、
それって花形装飾活字じゃねーてなもんですよね。
で、
何をここでは花形装飾活字として呼称し定めているのか。
何故、イメジストでの花形装飾活字を花形装飾活字と定めて、
それをスタンスとするのか。
じゃあ、そのスタンスとはなんなの??
繰り返しになりそうですが次回へ続く。