花形装飾活字を愛でる その116

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どうしようもなくグラフィックデザインが好きなのです。心の底から。
それでいてずっと、
文字を綺麗に見せる方法を模索してきました。
その過程で出会ったのが花形装飾活字です。
この技術を自分のものにすべく研究(と言い切ります)を繰り返してきました。
最初に歴史上のものを調べる上で達観した、
エンスヘデ活字鋳造所シリーズ60の花形装飾活字。
これは恐らく花形装飾活字至上最強の技術とセンス、
そしてなによりも変えられない気配りによって作られたものでした。
次に、実験的制作を繰り返す中で出来上がった、
花形装飾活字fromIMAGEST。
これは現代の技術と歴史を通しての魅力を生かしつつ、
実用という意味で多岐なシーンに利用される事を目指しました。
そして今回、
「新・花形装飾活字『水草』」が完成しました。

ずっと考えていた事は、
英字の花形装飾活字に対して、
日本語(漢字と仮名)の花形装飾活字の思索が、
あまりにもお粗末であるという事です。
賞状に代表されるような装飾として在り様のみがクローズアップされ、
イメージの底辺としての相性は模索されていないように感じました。
恐らく、
「活版」という一括りの技術輸入だった上に、
元々の職人的美術文化の融合により、
西欧で使われた実際の技術的底辺を知ることなく、
ある意味で一遍通りな紙面の画一的美術の完成を見たのだと思います。
つまり今日まで、
日本における花形装飾活字というのは歴史的に、
ちょっと勘違いした状態で日本独自の(平仮名を開発したように)変換としての形が、
当時の描き文字文化とバッチリハマッタ状況にて、
使われ続けてきたのだと思います。

何故、英字の場合にあの装飾で違和感無く美しく使えるのでしょうか。
何故、日本語の場合にあのような画一的になるのでしょうか。
水草」を開発する上で1つの大きなテーマになりました。
装飾の根本部分が文字との関係に強く作用している事は、
花形装飾活字に限らず全てのイメージに関係しているのは言うまでもありません。
西洋画と日本画の違いを見れば一目瞭然であり、
英字と日本語書体にも意味や形以外に、
イメージの底辺の部分で、
西洋画と日本画の違いのような根本があるようなのです。
それは言葉でくくる事の出来ない、
膨大な時間や言語変化による距離が関係している事はもちろんのこと、
文字そのものも美意識の部分として装飾的概念が強く働いています。
という事は、
花形装飾活字を扱う上で、
その利用や役割を踏まえれば、
当然のごとくそのイメージとしての装飾の相性というのは汲み取るべきものであり、
日本における花形装飾のローカライズの失敗は、
歴史的に利用されてきた経緯を含めても明白なものであると考えられるのです。
しかし、
重要な事はかならずしもそれが否定的な意味ではなく、
歴史や美意識的なところで、
今ある日本の花形装飾活字というのは間違ったものではないのだと言わなければなりません。
そして同時に過去のこれに関わった人に伝える事が出来るとすれば、
もう少し時間をかけて研究すべきであったと反省の部分として、
その研究は若干の浅はかさを感じずにはいられないという事は、
日本における花形装飾活字の衰退と、
現在にある日本語書体の欧米的なエッセンス全開(英字活字に近づけようという)を、
引き起こした引き金であったと言えると思うのです。
願わくば、
もう一度基本に戻って書体の設計をすべきだと追及します。
朗文堂がやってたりするが、
それでもメインストリームにあらず。
クウネルのようなすっきり書体が選ばれる原因は、
グラフィックデザインタイポグラフィの在り方が、
まだまだ西洋的であり、
その点においてもローカライズが不十分であると言えます。

何を根本とするか。
水草」は花形装飾活字として設計しました。
まず、図案を見てなんだこりゃ?だろうから、それだけはちゃんと書いておきます。
花形装飾活字において、
もしくは日本語書体における英字よりも使いにくいよね現象というのは、
ある種の喪失のようなものであると考えています。
決して日本語書体は英字書体に劣ったものではないと言い切ります。
活字にした時に技術の部分やエッセンスが、
英字に近づいてしまってはいますが、
それでも英字に負けないぐらいのポテンシャルは秘めていると思います。
単にグラフィックデザインタイポグラフィといった視点で見たときに、
葛西薫のポスター類が印象的ですが、
空間の使い方や写真のイメージの量としてのバランスを意識せずには、
作業が難しい、
もしくはバランスとして抜いたイメージが場を支配しないと日本語が入らないのです。
つまり、
日本語(あるいは漢字)はイメージそのものであると言えるのです。
中国で使われているような漢語との圧倒的な違いというのは、
平仮名の存在です。
漢字と平仮名の関係は、
まるで英字と花形装飾活字との関係に似ています。

わかりますでしょうか。
日本は印刷技術やグラフィックデザインの発想が輸入されるまで、
文字そのものが情報と装飾を兼ね備えたものとして扱われてきました。
いわゆる描き文字です。
例え交わっていたとしても、
あくまで分裂されたものであり、
現在の日本における花形装飾活字の扱いに似ているような気さえします。
これについては書き始めると当分続いてしまうので割愛しておきますが、
掻い摘んで書きますと、
グラフィックデザインというのは、
扱う側がどういった文化の底辺を持っているかで大きく変化するものであるという事です。
という事は花形装飾活字も同じ事が言えるのではないでしょうか。
歴史的背景や装飾のみの技術を掬い取って完成という訳にはいかないように思います。
もう一度、
花形装飾活字というものを、
文字を日本語書体をカッコよく見せる手段を考えるべきではないでしょうか。

当分続きます。