花形装飾活字を愛でる その213

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単色における造形が、その熟知出来る程度の情報量が、hugで一旦の完結かもしれません。それは、単色による可能性が無くなった、という話しではなく、単色というステップが次に進む事を視差しています。データである以上は、数値の変化の域を出ません。それはデジタルカメラが銀塩写真に取って代わる程の解像度を得られていない以上は、それが、光を変換する方式において、化学をサンプリングした科学でしかない現実を、まずは直視しなければならないと思います。化学、とくに物理学は観察でもって、その全てを決定付けますが、科学は一種のイメージングの世界を延長線であるとも言えます。それが単に数字だけでなく、言語や、図形に、その範囲は広がります。そうです。イメージングの世界が織り成す、夢のような現象が、今のデザインでは可能なのです。化学による影響の範囲がギリギリまで抑制された、科学の世界でデザインし、それを実像として表す事が出来ます。多分、それが、デジタルカメラと、銀塩写真の違いな気がします。意識の中で、もしその違いを説くのであれば、現象だけで踏みとどまるべきではありません。その意識まで至らなくてはならないと思います。それは、タイミング、です。意識のタイミングの違いを与える、イメージングな世界の変化については、無視はしてはいけないでありましょうし、同時に、hugで最も拘った箇所であるかもしれません。タイミングと言えど、様々なものがあると思います。手放す、もそうですし、予想の範囲、もそうだと思います。デジタル以降は、これらのタイミングがとても遅いタイミングで可能になったと言えます。これは科学、すなわち、人のイメージが、物理化学、すなわち、印刷加工に移り行く境界線のようなものの、時間とバランスが、圧倒的に前者において増加傾向にある、という状況そのものが、昨今の事情を作り出しているように感じています。今まで、専門性を持っていた事、人が不要になり、しかも、それらも、ある程度自動簡略化され、すると同時に余地が出来ます。今は、その余地をどうするか、という所で、いろんな人が動いているのだと感じるのですが、fengfeeldesignがやっている花形装飾活字に関連する動きも、まさに、その動きであるとも言え、同時に、hugこそが、そこに投じる、最新の思考であるとも言えるのです。データの終着点。データの完成。言わば、そのデータの有り様の考え方こそが、花形装飾活字から捥ぎ取った最良の知恵であったと考えています。